個人商店から経営者になったけど。

手塚
 ホストの仕事は自分の中で23歳くらいまでやるっていうのがあったから、23,4歳くらいになってから考えようって思ってた。一生やるわけじゃないっていうのはわかってたけど、どっかできっかけがくるんだろうなって23,4,5くらいの頃の自分に勝手に期待してたんだよね。なんかチャンスがくるんじゃないかって。

左京
 それで実際、23,4歳の頃は何してたの?

手塚
 バリバリやってたよ。でも、悩み始めてた。

左京
 ちょうど「Smappa!」オープンくらい?

手塚
 「Smappa!」オープンするのが25歳くらいかな。それまでいたお店を、取り敢えず辞めて違うことやろうと思って。そしたら今度は出来ることが何もなかった。自分がやれることが分かんなかったんだよね。

 例えばその時『深夜特急』読んでたからバックパッカーになろうとか思ってたし、それかお寺に入ってお坊さんになろうかなーくらいしか思わなかったし仕事を知らないから職種も思い浮かばない。世の中に他にどんな仕事があるかもわからないから、勢いでお店始めた。別に独立して、「よっしゃ、俺は新宿でのし上がってくぞ」なんて思ってなかった。


IMG_1276.jpg左京
 でも、個人商店のままでもよかったわけでしょ。

手塚
 それに関しても不安があったんじゃない? 今度はずっとこのまま続けていくことはできないし自分の成長っていう意味でも、もう本当に繰り返しになってたから。ある程度極めたっていう言い方は変だけど、自分のなかで、ある程度の方程式ができちゃったら、次に新しいお客さんができたって、その方程式に当てはめるだけの繰り返しになっちゃってる。

 それが本当に儲かるコツなのかもしれないけど、それが出来ちゃったらあんまり魅力はなくなっちゃった。稼ぐことはできただろうし、個人商店を続けることもできたけど。

左京
 自分でお店をやるのは初めてだったわけでしょ? それまで個人商店っていう舞台のなかの、いちプレーヤーだったのが、全然違う役割になる訳だよね。

手塚
 当時は全然違う役割だとは思ってなかった。別に店やることが難しいとは思ってなかった。肩肘はらずに自分がやりたいことをやるっていう感覚で店始めた。

 

IMG_1273_03.jpg左京
 そこに新しいチャレンジみたいなものは?

手塚
 あったと思うよ。あったけど、水商売のホストっていう仕事が自分の中で、世間から見たときのイメージとして別に良くはないっていうのがあったから、店出したからってよくやったなーとか全然なかった。すげーがんばった、今日達成したーみたいなのは全くなかったよね。

左京
 とりあえずそれしかないと。

手塚
 そんな感じだった。そう、とりあえずそれしかなかった。

左京
 あんまり楽しくなかったの?

手塚
 全然楽しくなかった。店オープンさせて、別に楽しいとか・・・・・・、変わんなかった。

左京
 個人商店が大きくなってる時はさ、分かりやすい結果が出たり、自分なり商売の仕方が出来たりしてそこは楽しかったわけでしょ? 自分の成長を感じられるわけだから。でも、そういうのはその時はなかった?

手塚
 一軒目を出したくらいの時は全然思わなかった。本当何も考えてなかったし、ビジョンもなかったし、本当ノリだね。高い買い物、高い車を買ったのと同じような感じだね。でもひとつ変わったのは環境かな。いろんな人たちと接する機会が増えた。

 その頃ね、敬語の使い方とか忘れてたもん。敬語を喋ることなんかなかったから。だから、親に保証人になってもらわないとテナントの契約できないってなって実家に帰る時に、妹に「俺、お父さんのこと何て呼んでたっけ」って聞いたもん。「お父さん? オトン?」とかね。「敬語で喋ってたっけ」とか聞いた。どうやって喋ってたか感覚がもうなかった。忘れてた。

(続きます!)

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シブヤ大学 学長の左京泰明が「仕事」や「働くこと」について、様々な分野で働く同世代の仕事人に素朴な疑問をぶつけ、彼らの言葉の中から「働くとは何か」を探っていくインタビュー企画です。
協力:(株)弘文堂

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このページは、左京泰明が2007年7月13日 18:06に書いたブログ記事です。

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