第1回 手塚真輝氏・ホスト

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1977年、埼玉県生まれ。大学中退後、歌舞伎町の某有名ホストクラブに入店。入店後、約1年でナンバーワンに登り詰める。2003年に独立、現在は歌舞伎町でホストクラブ「APiTS」、「Smappa! HYPER」とバー「BRIAN BAR G」の計3店舗を経営。歌舞伎町でゴミ拾いをするホストによるボランティア団体「夜鳥の界」リーダーも務める。

【働くという感覚がない】

左京
 “働くって、なんだ?”っていうテーマでインタビューしたいって言われて最初どう思った?

手塚
 まず、「働いたことがないな、俺」、だから何を答えたらいいのかなって思った。俺たちの場合、もともと、「今日入りました」、「明日辞めます」っていうのが通用する業界。そして、いればお金になるというわけでもない。そういう感覚がいわゆる“働いてる”みたいな感覚と違うのかもしれないね。

 ホストって、一人ひとりが個人商店の店主で、俺は手塚商店っていうのをホストクラブという「場」を借りて開いてる。その代わり手数料をお店に払う。これがホストクラブの基本的なスタイルなのね。

左京
 なるほど。

手塚
 そうそう。だから「僕辞めます」って言ったら、その個人商店をたたむのと一緒なの。

左京
 今、真輝くんは場を作ってる(=ホストクラブを経営している)訳だけど、その前の個人商店時代はどんな感じだったの?

手塚
 うーん、子供の頃の感覚と同じかな。例えば、ラグビーの試合があります。それに向けて練習します。その感覚とそんなに変わってないかもしんない。その結果の対価をお金で得てるってだけで。

 結局さ、そんなのって、自己満足みたいな部分があるじゃない?試合に出て活躍したいことについて、それがなぜかなんて真剣に考えたりしないじゃん。たぶんすごく純粋に目立ちたい、活躍したい、それでみんなに誉められたい、そんな気持ちがあったんだと思うけど、その感覚とたぶんそんなに遠くなかったかもしれない。ラグビーと違うところは、手塚商店が流行ればお金を得られるっていうことくらい。みんなに誉められて、俺もうれしいし、くらいの感覚かもしれないよね。あんまり、仕事っていう感覚ではなくってさ。

左京
 その感覚は大学を中退する時くらいも?

手塚
 たぶんずっと。それに、新宿の夜の世界っていうのが、あまりにも今まで自分が出会ってきた人達と別世界に生きてきた人たちばかりだった。本当に不良しかいない時代だったの。それまで真面目に生きてきて、まったく異世界の人たちの中に飛び込んだとき、逆にいっちゃえば俺が不良なんだよね。

 自分の方が異端児なの、周りの人達に比べると。そういう環境に自分を置いた方が、今まで真面目に生きてきた自分にとって、4年間大学に行くよりためになるかなと思って。

左京
 うんうん。

手塚
 俺ね、まず大学に行く理由として、医学部に行きたかったの、ずっと。子供のころから医学部に行きたかったけど、それが叶わなかった時点で、あんまり大学に行きたくないっていうか。大学に通うこと自体の魅力がなくなったかもしれない。

 もともと、性格的にひとつのことを、つきつめて考えるほうで、例えば今日はこっからここまでのデータ入力作業をやりましょうって言われたら、それを一日中、ひとつずつ処理するような仕事が向いてるタイプなの。俺は覚えてないけど、子供の頃、小学校の国語の授業で、この小説のこのページを要約して下さいって言われたりすると、みんなと比べて俺だけまとめ方が違うんだよ。みんなは、長い文章を1行でまとめちゃうんだけど、俺はそのページをひょっとしたら、元のページよりも長くしちゃうようなまとめ方をする子供だったの。その一ヶ所にすごく集中しちゃう子っていうか。


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歴史の授業で何かについて調べましょうって言われても、例えば何年から何年までの日本の歴史を調べるうちに、ひとつの行事が気になっちゃうとそれについてとことん調べちゃったりする。その年代全体のことを調べるんじゃなくて、この戦争どんな意味だったんだろうって資料集とかひっぱり出したり、図書館とか行って調べて、先生に持ってってもあんまり評価されなかったりとか。 
 要は、専門分野にとことん突っ走ることが自分に向いてるんだと思う。これって決めたらとことんそれ!みたいな人間なんだよ。何かに対して。
それがこの世界に入ったときに、もう間逆じゃない? それで最初の頃は、あぁこれは向いてないな、と思ったの。

 だけど、もうひとりの俺は本能かもしれないけど、自分自身を成長させるっていうことを考えたときに、じゃあ、この全然向いてない世界に4年間いた方が、大学で専門知識を学ぶよりも4年後の自分にはプラスになるんじゃないかなって。それが一番。ホストクラブで働き初めて3ヶ月目くらいの時にそう思って、当時19歳だから23歳まではやってやろうって決めた。

 23になった時に、周りの同級生、一浪して早稲田行きました、とか、そういうやつらに負けないでいてやろうって思ったのね。

左京
 普通に一般企業に入ろうっていうことは全然考えなかった?

手塚
 普通に大学に行って、普通に就職するっていう未来は俺には見えてなかったんだと思う。全然考えてなかったな。
 一般企業に勤めて、何かしてる自分っていうのはあんまり想像してなかったな。

左京
 医者にはいつ頃からなりたかったの?

手塚
 子供のころからなりたかった。脳みそに興味があった。世の中にわかんないことっていっぱいあるけど、一番不思議で一番わかんないのって自分だなって思って。自分が一番世の中でわかんない、こんなに身近なのにこんなにわかんない、俺って何考えてんだろ、俺って何なんだろ、何で手が動くんだろって。
 医者っていうか人体に興味があった。

左京
 勉強したんだ。

手塚
 してなかった。

左京
 あーそういうこと(笑)。

左京
 話を少し戻して、大学を辞める時、不安とかなかった? 一般的に考えるとやっぱり大学生から中退してホスト始める人なんてあんまりいないよね。

手塚
 俺にとってはお医者さんになれなかったことと、大学を辞めることはそんなに変わらなかった。医学部に入るっていう目的のない大学に行くことと、大学を辞めることっていうことにそんなに差はなかったのかもね。

左京
 医者になれないとしたら、そこでもう大学に行くことも含めて選択肢としてはずれたわけだ。

手塚
 でも今考えると、医者っていうのが自分にとって分かりやすかっただけなのかなとも思う。大学の4年間で何かやりたいことを探すっていうのは自分の中でなかったのかもしれない。焦ってたのかもしれない。
 
 出来ることっていうか、自分自身の存在意義っていうかさ。そういうものに対して焦ってたのかもしれないね。 “大学生”っていうカテゴリーでいることっていうのがすごく嫌だったのかもしれない。

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左京
 なんなんだろうね。その焦りは。

手塚
 高校受験する時もそうだった。例えば専門学校に行ったり、工業高校に行くのって分かりやすいじゃん。将来何になるかってことが。だから、自分自身のなかで定まったもの、道筋っていうものがないと不安だったんじゃないかな。高校の普通科に行って俺は何するんだっていう、迷いを決心させるために、医学部に行くためだっていう理由を自分のなかで結論づけて普通科の高校に行ったんだよね。だけど、その時も最初悩んだな。
 
 ひょっとしたらそこまで医者になりたくなかったのかもしれない。なんとなく、自分自身っていうものの存在意義に関して不安だったりこだわりだったりがその頃からずっとあった。だから、“大学”っていうカテゴリーに属している俺っていうものに対する魅力はかなり低かった。大学もほとんど夜間受けたし。それも働きたいっていうのがあったな、そういえば。そう、働きたかったのかもしれない。

左京
 その時の真輝君的には働くっていうことの意味は、さっき言ってたように自分を一番成長させるっていうことだったんだよね。

手塚
 そうだね、成長させるし、知らないことだからね。そうだ、働きたいと思ってたんだ。

(続きます!)

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シブヤ大学 学長の左京泰明が「仕事」や「働くこと」について、様々な分野で働く同世代の仕事人に素朴な疑問をぶつけ、彼らの言葉の中から「働くとは何か」を探っていくインタビュー企画です。
協力:(株)弘文堂

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このページは、左京泰明が2007年6月29日 16:01に書いたブログ記事です。

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